2012年 06月 30日
ご冥福をお祈り致します。

同じ時代を生きた人たちの訃報が続きました。

ザ・ピーナッツの伊藤エミさん、初めてファンレターなるものを出したのがピーナッツ、確か小学生の頃だったと思います。ブロマイドも買いました。(*^_^*)

ザ・ヒットパレード、シャボン玉ホリデー、あの頃はいい番組が多かったですよね。

バラエティーと言っても「夢で会いましょう」など、今とは雲泥の差の番組作りでした。

高度成長期の日本、国も人も夢が持てた時代でしたね。

そんな時代を生きた方々の訃報は淋しいです。ご冥福をお祈り致します。

小野ヤスシさん

「ちい散歩」の地井武男さん

尾崎紀世彦さん

安岡力也さん

皆さん、60代~70代 自分もそろそろと考えてしまいます。

ご冥福をお祈り致します。

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2011年 10月 15日
二つの訃報 柳ジョージさんと「敬天愛人」さん
元町、中華街、港が見える丘公園、外人墓地、山下公園、本牧、ゴールデン・カップスまで
青春時代に何度も何度も行った横浜の思い出に浸っていた。
柳ジョージさんが亡くなったとのニュースが入ってきたのはそんな時だった。
和製クラプトンと呼ばれた人だった。一時期はカップスのメンバーでもあった。
思い出に浸っている暇もないけれども、故人を偲びながら素晴らしい曲でも聴きましょうか。
柳ジョージ YouTubeBest 100 フォーク&ポップス【最適順】
御冥福をお祈り致します。
“和製クラプトン”柳ジョージさん死去…63歳
スポニチアネックス 10月14日(金)7時50分配信
独特のハスキーな歌声と味わい深いギターで人気を集めたロック歌手の柳ジョージ(やなぎ・じょーじ、本名柳譲治=やなぎ・じょうじ)さんが10日に腎不全のため死去したことが13日、分かった。63歳。横浜市出身。知人によると、故人の遺志により訃報は近親者のみに伝え、11、12日に通夜と葬儀を済ませたという。
学生運動が激しかった日大在学中の1969年、ブルースロックバンド「パワーハウス」を陳信輝(62)らと結成。翌70年にザ・ゴールデンカップスの後期メンバー(ベース)として加入。解散後の75年に広島のローカルバンドをバックに「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。「雨に泣いてる」「FENCEの向こうのアメリカ」「さらばミシシッピー」などのヒットを飛ばした。中でも79年のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」はオリコンチャート1位を記録した。
81年暮れの日本武道館公演で解散。わずか6年間の活動だったが、R&Bをベースにしたロックがヒットチャートをにぎわせたのは当時では異例のことで、その後の日本のロックやポップシーンに大きな影響を与えた。ソロ歌手として活動後も“泣きのギター”と呼ばれるフレーズから「和製エリック・クラプトン」と称され、女性シンガーの鈴木聖美(59)、バブルガムブラザーズ、横山剣(51)らがファンを公言。俳優高倉健(80)が柳のディナーショーに突然訪れ「以前から聴いていました」と声を掛けたエピソードは有名だ。
酒好きで知られ、ここ数年は体調を崩すことも多かった。今年5月22日の函館市芸術ホール公演を最後に、体調不良を理由に活動を休止。所属事務所からも離れ、ファンクラブも閉会していた。
「じじいになってこそ味の出る歌もある」と生涯現役を誓っていた柳さん。早すぎる死は日本ロック界の大きな損失だ。
◆柳 ジョージ(やなぎ・じょーじ)1948年(昭23)1月30日、横浜市生まれ。中学時代にザ・ベンチャーズに影響されギターを始めた。素朴でシャイな人柄も魅力で、志村けんは飲み仲間。所ジョージの芸名は宇崎竜童が「所沢の柳ジョージ」という意味で命名。読書家として知られ、中でも歴史物が好きだった。カラオケの十八番は高倉健主演映画「網走番外地」の主題歌。05年に「柳ジョージ&レイニーウッド」を再結成し、08年にはフジロックフェスティバルに出演した。
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二つ目の訃報です。
柳ジョージさんの訃報の後、お気に入りブログの方の更新記事で訃報を知りました。
本当に驚かされました。
福島県須賀川市にお住まいの「政治ブログランキング」の人気ブロガーである、
「敬天愛人」さんは
10月11日の投稿を最後に13日の午後に亡くなられました。
↓
月日だけがいたずらに過ぎて行く
御来訪感謝申し上げます。
今日11日で東日本大震災発生から7ヶ月目になります。
当地でも、毎月11日になると「ああ今日で、もう○ヶ月目になるんだね」という会話が必ずなされます。
「もう○ヶ月・・・」の言葉の背景には震災発生日を絶対に忘れられないという思いと、あれからこんなに月日が経っているのに一向に進展を見せない復興状況を嘆く思いが重なって、やりきれなさが募る一方の感情があるのだと思います。
先月(9月)の時はちょうど半年目だったので、「もう半年も過ぎてしまったのか」という時の流れの速さに驚いた気持ちが強くありました。
そして、また1ヶ月が経ちました。
1ヶ月経っても、特段変わり映えしない被災地の現状です。
相変わらず道路や施設は地震や津波の爪痕を残したままです。
当地須賀川市は市役所庁舎が外見でははっきり分からないのですが、内部は地震のために壁や柱に亀裂が入ったり、天井が下がったり、窓ガラスが割れたりと修繕不能で建物ごと建て替えないと使い物にならない状況です。また、町の中心部にある市の施設がやはり地震のために使用不能となり、そのまま放置されている状態です。
市内でも建物を修繕したり、新たに建て替えたりしているのは皆民間の建物や個人の民家です。つまり、民間や個人が自助努力で復興させているものばかりです。
お役所は「予算が無い、インフラの修繕費用で手一杯でとても市の施設までは賄えない」と言います。
県に支援をお願いしても、報道でご存知のとおり、福島の災害基金は底を突き、国からの援助を待っている現状です。しかし、国は国で「復興のための財源がない」ということで復興財源を名目とした増税政策を打ち出してきています。
ということは、国は未曾有の大災害による復旧・復興を「財源がない」からと国民の負担で行おうとしている訳です。
これなら、不肖敬天愛人でも総理大臣が務まります。否、誰でもできるでしょう。
以下略
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最後の記事のコメントに親しいブログ仲間さんがこの訃報を知らせてくれたのでした。詳細は「桜の花びら」さんのブログの記事に書かれていました。涙が止まりませんでした。専門家に等しいほどの知識をお持ちでも常に謙虚であることは文章から伝わってきました。
いろんなことを学ばせていただきました。ありがとうございました。
御冥福ををお祈り致します。
「桜の花びらさん」の記事より
敬天愛人さんの死
花鳥風月。
日本ならではの自然の美しさ。
そんな日本が大好きだったブログ友の敬天愛人さん。
(略)
無念でありましょう、敬天愛人さん。
あの鋭い洞察力でまだまだブログで伝えたかったことがあったはずです。
今の日本を心底憂い、日本を心から愛していた、敬天愛人さん。
そして、これはあくまで私の想像で畏れ多いことですが、
敬天愛人さんは親しいブロガーの皆さんに、最後にきっとこう言いたいのではないかと思います。
「皆さん、不肖敬天愛人、突然こうなってしまい、本当に申し訳ございません。
我が愛する日本はまだまだ立ち直れていません。
敬天がいなくても、志高く、愛国心ある皆さんに我が日本をお願いします。
そして体には十分気をつけて、敬天の分までよろしくお願いします。」

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2011年 03月 23日
人生の儚さ
昨日、今日と大きい揺れが続きますね。
震災は仕方がない、自然には勝てない。
だけど、その後は人災。
どさくさに紛れて、
18日に
民主党は
「インターネット監視法案」を成立させました。
民主党や彼らのひも付き、朝鮮人集団の批判が
ネット上では出来なくなるでしょう。
今のうちに拡散しておかなければ、
また皆騙されてしまう。

昨日の朝に知人から返信メールがありまして、
仲間が津波に流されて亡くなったと知らせてくれました。
その知人も一昨日の夜避難所リストに載っていて、
やっと連絡が取れたのですが、やはり現場の状況は、
テレビの報道からは窺い知れないものでした。
癌との戦いに勝ち、「人生観が変わった、これからの人生は大事にしていかなくては」
と語っていた人でした。
あれだけの死者がいるのですから、その中に知人や友人がいても不思議ではないのですが、
ショックで、人の一生の儚さを思って、昨日一日は落ち込んでおりました。
「弱いなぁ!こんなことでどうする!
落ち込んでいる場合じゃないよ!」
と言い聞かせています。
日本は変わってしまったんです。
あの日以来。
もっと言えば、民主党が政権を盗って以来、
日本は変わってしまったのです。
これから先、さらなる不幸が来そうな気がします。
が、負けてはいられませんね。
計画停電、夏まで、いえ、秋まで?冬まであるかもしれません。
もっと酷いことが起こるかもしれません。
覚悟と準備は怠らないようにするべきです。
今までの生活は戻って来ませんから。
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